いのちのマネジメント~伝統と文化を失うことの意味~

いのちにはマネジメントがある。


マネジメントとは
何もビジネスだけの言葉じゃない。

わかりやすく言えばいのちの循環だけど
マネジメントの概念は正しく認識されていない。

 

マネジメントで有名なP・F・ドラッカーはマネジメントを次のように定義しています。

 

1に、マネジメントとは、人の強みを発揮させ、弱みを無意味にすることである。

つまりそれは、人にかかわることである。

 

2に、マネジメントとは、それぞれの国や土地の伝統、歴史、文化を仕事に組み込むことである。

つまりそれは、人の関係にかかわることである。

 

3に、マネジメントとは、組織の目的、価値観、目標を明確にしてから、周知徹底し、常時確認することである。

つまりそれは、組織の目的にかかわることである。

 

4に、マネジメントとは、組織の人間を成長させることである。

つまりそれは、組織の人間の訓練と啓発にかかわることである。

 

5に、マネジメントとは、意思の疎通と個人の責任を確立することである。

 

6に、マネジメントとは、マーケティング、イノベーション、生産性、人材育成、人、もの、カネ、社会的責任など、

成果の尺度を明らかにして、測定し、向上させることである。

 

7に、マネジメントとは、組織の外に成果をもたらすことである。

優れた財・サービスの提供によって、世の中に貢献することである。

 

マネジメントとは、仕事である。その成否は、結果で判定される。

すなわち、それは技能である。しかし同時に、マネジメントとは、人に関わるものであり、

価値観と成長に関わるものである。したがってそれは、まさに伝統的な意味における教養である

 

(『チェンジ・リーダーの条件』より)

 

 

つまり、それは生きること

成長すること=循環することに大きく関わります。

 

【いのちのマネジメント】
 

このことをベースに
わたしの伝える星読みも人生の生き方も明確にあります。
意識次元とはいのちのマネジメントのこと。


人はいのちのマネジメントを失い
ゼロ次元に戻って来た。

しかし、ゼロ次元(スピリチュアリティ)だけでは
いのちは循環しない。

まだまだ世の中は
いのちのマネジメントを探している。

そこに多くの人は気づいているが
認識がないからちゃんと起動しない。


起動するには「マネジメントの認識」と
「わたしたちの真ん中」に何を置くかを知ること。

これは、昔からずっとあったこと。



人がなぜ人間なのか。
なぜ?生きるのか。


多くの人は忘れてしまった。

今の社会の短期的な視点によって
スピリチュアリティでさえも
短期的な概念ばかりだ。


いろんなビジネスの手法や
スピリチュアルな手法があっても
人々が使えないのは
「マネジメント」がないから。


マネジメントは手法じゃない。
わたしたちのいのちのシステム。


日本人の多くはいのちのマネジメントを
忘れている。

だから、いろんなことが
いのちと結びつかない。

マネジメントを他の言葉にすれば
「伝統」「文化」とも言える。


今、日本の文化は見直されている。
それは、多くの人が「知っている」から。

文化の中にマネジメント、
いのちの循環のカギがあることを知っているから。

 
でも、それを正しく認識していない。


だから
今度は神社ブーム
スピリチュアルブームで
ブームでしかなくなる。


多くの人は文化や伝統を失うことの
本当の意味を知らない。

文化や伝統を失うということは
民族のアイデンティティと誇りを失う。

伝統を失った民族は「行き場(方向性)」を失う。
「頭」がなくなるのと同じだ。

それは、
いのちのマネジメント(循環)を失うことに直結する。


だから、戦争は
その国の歴史を書き換え、伝統を奪う。

そうすれば、簡単にその民族は「力」を失う。
どんな拷問や殺戮よりも効果的だ。

人は拷問や殺戮ではその誇り、方向性、信念を失わない。
たとえ、屈したとしても
その「こころ」は受け継がれる。


本当に力を奪う(得る)ことを知るものは
その国の伝統と歴史を奪う(守る)。


人はこのことから目をそらす。
知っているから。


活法(かっぽう・いかす術)を知るものは
殺法を知るもの。


正しくものごとを動かす(マネジメントする)には
殺法を知ることが大切。



殺法とはそれを終わりにする方法。
これは、どんな術にも秘伝として伝えられる。

それは同時に活かす方法でもある。


場合によっては、築き上げたものを
自ら「終わり」にしなくてはならないときがある。
そういうときに使う。

ラピュタの最後みたいな使い方。



今、多くの人が
神社にお参りし、暦の生きかたを見直し始めたのは
「いのちのマネジメント」を潜在的に知っていて
取り戻そうとしているから。

ただ、そのことに認識がない。
いのちと結びつかない。
その多くはぼんやりしている。




文化や伝統には先人の足跡がある。
先に逝った人、「死」を想う時
わたしたちのいのちのマネジメントは起動する。

伝統を守ることと死を想うことは同じ。



縄文時代には
集落の中に墓(死)があった。

それがいのちの循環(マネジメント)の力だと知っていたから。


終わり(死)を知ることは
正しい「方向性」と「行動力」を与える。

ここでいう正しさとは
次世代につなぐということ。


そして、わたしたちは
このことを新しいいのちへつないでいく。

 

 

ルミナ